化石好来系? ~さようなら、好好(2)

(承前)

今年中にその営業を終える「八事らーめん 好好」。

八事らーめんとあるが、場所は名東区の高針にある。創業時は八事に店を構えていたらしい。

その創業は1979年と聞くので、40年間にわたる営業だったということになる。
現在の地は幹線の一本裏の住宅地に近い裏道沿いである。まさにひっそりと佇むと形容したい店構えで、2階に住んでみえるのだろうか、店舗付長屋住宅の一角にある。

店のフロントガラスには大きなダブルジョイ(喜喜)のマーク。さらに橙色のテント看板が印象的だ。

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僕がこの店に初めて訪れたのは、積極的にラーメン情報を収集して食べ歩きをするようになった今から20年前である。

実はそれ以前にこの辺りに長く住んでいたし、たまにこの道の前を通ることもあったのだが、この店の存在は知っていたものの、若僧としてはその少し古ぼけた店のイメージに興味を惹かれなかったので入店したこともないし、ましてや好来系の店などと認識していなかった。引っ越した後に知ったことになる。

当時情報を収集していたラヲタの集うメーリングリストの猛者たちもこの店のことを気づいていなかった。まだラーメン本の類いもあまり出版されておらず、ネットの情報も掲示板等中心でブロガーなる人々もおらずホームページを持つ人も僅かだった頃である。

好来、好来軒、好陽軒、陣屋、好友軒、招福軒、みつ星、めんきち、好龍、味楽。このあたりが世紀が変わる前後のその当時、好来系としてラヲタに認識されていたところであろうか。まだ、好来は好来道場になる前で、創業者楓氏は一時隠居状態。現在の太陽が好来を任されていた頃だったかと思う。

伝説のラヲタ「だいけん」氏が、我々のコミュニティにこの店の情報をもたらした。
酒場で聞き知ったらしく、当時「ラーメン刑事」との異名もあっただいけん氏が早速突撃、お店に簡単なインタビューも敢行しこの店の成り立ちが明らかになったのだ。

「"好来"初代から教わった」
「(修行)年代的には好陽軒のご主人のあと,招福軒よりは前」
「はじめ八事で8年店を出した」
「昭和54年OPEN」(つまり高針に移転してきたのは87、88年あたりの平成になる直前ということ)

当時の名古屋ラヲタを取りまとめていたリーダー格の「げそ天」さんは、この好好や好友軒のように初期に好来から分岐し当時の味や雰囲気を色濃く残す店のことを「化石好来系」と呼んで分類した。

そしてその頃からこのお店の雰囲気と、お父さんとお母さんの二人三脚による営業は見た目には変わっていない。
だが変わらないようにみえても長い間のうちに移りゆくのが世の常。

 好来系としての好好のらーめんの特徴は他店に比べ、
①スープはややあっさり
②チャーシューがやや分厚くボリュームがある
③メンマは短く極太で炒め煮のように味付けされておりたまに焦げ目がある
④生玉子のトッピングが可能で二黄卵が使用されている
などといったところだろうか。

このうちメンマは現在の長さの三分の二から半分ぐらいだったように覚えている。

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2006年当時の好好の松

もうひとつこのお店が重宝されたのは、中休みなしの通し営業だったことである。
数年前に今の中休みがある営業スタイルとなったが、それまでは15時~18時のアイドルタイムにもらーめんを食べることが出来た貴重なお店だったのだ。

休憩なしのスタイルから休憩ありのスタイルに変わったのもひとつの前兆だったのだろうか、ご夫妻はこの12月30日で40年間の営業にピリオドを打つ。

その情報を聞いて12月に入ってまもなくとりあえず食べに行ってきた。

焼豚メンマ大入りの寿の麺大盛りを注文。 

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しみじみと美味い。
やや塩気のある焼豚、少し焦げ目が付いたメンマ、むにゅもちっとした麺、薄いようでしっかりしたベースのスープ。
全てが愛おしい。
好陽軒同様に、ここでも会計を終えて店を出るときに「またどうぞ」と声をかけてくれる。

食べ納めのつもりで来たのだが、その声に後ろ髪を引かれる。

四十年間おつかれさまでした。
しみじみと美味しいらーめんをありがとう。

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